プロフィール

純平は昭和60年8月18日に長男としてこの 世に生を授かりました。誰からも親しく呼びや すい名前をと思い「純平」と名付けました。
仕事が休みの時は、私の方が純平にベッタ リでした。かわいくて、かわいくてたまりませんでした。
歩けるようになると、朝から海に行ったり公園 に行ったりして遊んでいました。

純平が3才になる前、母親は突然家を出て行きその後はずっと二人で暮らしてきました。

保育園の入園式の前日、私は通勤途中に事故にあい、全身打撲のケガをしました。 入院と言われましたが、先生に頼んで通院にしてもら い入園式にでる事ができました。
保育園では大変明るく、多くの友達に恵まれ 楽しく過ごしていました。 先生方も家庭の事情 を理解していただき、大変よくして頂きました。 感謝しています。

小学校では3年生までの留守家庭のクラスに入れて頂き、ここでも先生方から大変よくして頂きました。 今でも忘れられません。
また、この頃学校とは別のサッカー部に入部しましたが、私がお茶当番などで仕事に出られず、やむなく退部しました。純平に本当に悪い事をしました。

中学でもサッカー部に入部しました。 毎日の朝練も休まず、土曜、日曜は試合で朝から元気に出て行きました。 監督、コーチに 恵まれ、県大会まで出場する事ができ、親子共々忘れられない思い出となりました。

高校は私立に決まっていましたが、突然、公立高校からのサッカー推薦の話がきました。二人で喜び入学する事にしました。練習を一日も休まず、朝からサッカーばかりに打ち込んでいた純平は勉強と両立できず、やむなく通信高校に編入しました。 登校日以外はガソリンスタンドでアルバイトをして生計を手伝ってくれていました。 バイクの免許もあと少しで取れるというそんなある日突然、「特発性拡張型心筋症」という難病を発症してしまいました。

・「特発性拡張型心筋症」、これは心臓の筋肉、その細胞の一部もしくは全ての性質が変化してしまい、通常の筋肉が薄く延び心臓のポンプ機能が著しく低下してしまう病気です。

病院では腎不全、肝不全、呼吸困難で、あと8日の命と宣告され、九大病院に転院しました。 九大病院であらゆる手を施していただきましたがやはり人工心臓をつけるしかないと言われ、10時間近くの手術で人工心臓が装着されました。
純平は、術後目が覚めた時に人工心臓から延びたわずか3mのホースにつながれた自分の現実を知り、私が仕事でいなかった為にひとりで泣いていたそうです。
私は反省しました。 ずっとそばにいてあげられなかった事を。
今でもこのときのことを考えるとたまらなくなります。
現在の国内での心臓移植はまだ40例しかありません。臓器提供者を待っているうちに亡くなる方も多いそうです。

純平もドナーカードを書き、 「もし僕が死んだら使える臓器は、全部使ってくれるようにお願いして。だけど、何もしなくて死にたくない、出来る限りの事をして死にたい」と言いました。
海外を目指すと手術が早くできますが、金額もリスクも大変高くなります。
しかし、私は親として純平に出来る限りの事をしてあげたいんです。どうしても純平と二人で歩いて、家に帰りたいんです。どうか皆様、純平を救って下さい。

純平のために、地域の皆様をはじめ、担任の先生方や同級生の方たちが、「純平君を支える会」を立ち上げてくださった事、心の底より感謝申し上げます。
一日でも早く心臓移植手術が受けられますよう、これからも皆様のご支援ご協力をよろしくお願いいたします。

                               父 宇野 圭造




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